「kitchen」
やっと風が穏やかになった。
先程までの断続的な突風に、ゴーイングメリー号の甲板は大騒ぎだったが、いまはやっと落ち着いて、静かに航路に乗っている。
煽られた帆が跳ね上げたロープで、ウソップが顔に怪我をしたが、そのくらいはいつものことだ。慌てていたのはチョッパーだけで、他の者は皆、サンジの作った軽食を詰め込んだ後、思い思いの場所で休息を取っていた。
「お疲れさん」
ウソップの怪我の手当てを終えたチョッパーが食堂に入ってくると、調理器具の片付けをしていたサンジが、肩越しに振り返った。他の者はもう済ませたのか、他には誰も居ない。
「おまえの分、そこに取ってあるからな」
そう言うと、手の中で小ぶりの包丁をくるりと回して、ナイフ差しに落とした。
その手元を、チョッパーが感心したように見ている。
「なんだ?」
背中を向けたままであっても気配でわかるのか、手は止めずに、咥えタバコの少し不明瞭な声が、可笑しそうに聞いてくる。
「すごいなぁと思った」
「ああ?なにが」
また手を動かしながら肩越しに振り返り、サンジは眉を上げる。
こうこうこう、と、チョッパーは小さな蹄のついた手で、先程のサンジの手つきを真似た。
それを見て、大きめの口の端にタバコを引っ掛けて、声を立てて笑う。
「さすがに、長いこと扱ってるからな」
何処か懐かしむようなその口調に、チョッパーは小さく首をかしげる。
他の者から少しは聞いているが、自分がドクトリーヌを懐かしむように、彼もまた懐かしむ者がいるのだろう。その誰かを自分が知らないことを、少し残念に思う。
「・・・あれ? その上になかったか?」
ふと、サンジが口調を変えた。
???
意味がつかめず、更に首をかしげる角度を増す。
「おまえの分がそのテーブルに・・・ああ、そうか、そっちに置いたんだったな」
軽く手を振って水を切り、サンジはキッチンを離れた。
椅子の上に立って、きょろきょろとテーブルの上を見回すチョッパーの横を通り過ぎ、大型ネズミ捕りへと近寄よると、青いストライプシャツの腕を伸ばして、ひょいっと身を乗り出した。
「わりぃな。さっきルフィーが廻って来たから、一応用心の為にこっちに置いたんだった」
仕掛けが掛かっている訳ではないが、一応、威嚇にはなるらしい。
ネズミ捕りの中央に置かれていた皿を取り上げ、掛かっていたクロスを取り去って差し出した。
チョッパーは笑顔で渡された皿を受け取り、差し出した本人をちょっと見た。自分も人型になればそれなりの背丈になる。同じように手を伸ばしせば、同じように届くのだろうか。
今のような目に見える何かだけでなく、まだ自分の持てない何かに。
椅子に座って、床に届かない脚をぶらぶらさせながら、チョッパーは取り置いてもらっていた食事を頬張る。サンジは今度は夕食の下ごしらえをはじめたようだ。小気味良いリズムで調理器具の当たる音がする。
船の揺れは穏やかで、さっきまでの騒ぎが遠く感じられた。
「なんだチョッパー、まだ食ってたのか」
不意に、無遠慮な足音と共にゾロが船室のドアを開けたて入ってきた。
「うん。ウソップの顔の手当てしてた」
「あんなの舐めときゃ治るって」
「そういう安易な考え方が、一番危ないんだぞ!」
上目遣いに怒ったように言う小柄な船医に、自分の上に雪が積もっても起きない、惰眠を貪ることにかけては一番の剣士は、ただ、にへらっと笑って返しただけだった。
「なんだ?」
振り返りもせずに、サンジが問い掛ける。
何の用事だ、と。
「なんかくれ」
チョッパーの向かい側に座り、皿の上から本人を目の前に失敬しながら、自分も問い掛けてきた相手を見ずに答える。
「てめえは自分の分は食ったばかりだろう。ルフィーみたいなこと言うなよ」
呆れたように言うのを遮り、「ちがう。飲み物だ」と訂正した。
「てめえで勝手にやれ!おれを顎で使うな!」
上半身で向き直って、食いつかんばかりに歯をむくのに、怯んだのはチョッパーの方だった。
言われた本人はちょっと横目で見ただけで、いつもの顔だ。
「なんでおまえがビビッてんだよ」
また一口、皿から取り上げながら、ゾロが片眉を上げる。
チョッパーはプルプルと首を振った。何でもない、と。
そうそう、こんなことは日常茶飯事。いちいち気にしていちゃいけない。
思いなおして、これ以上皿の上がゾロに減らされないうちにと、食事を再開する。
「取んじゃねえよ! おまえも取られてんじゃねえ!」
いつの間にか体ごと向き直っていたサンジが、チョッパーの皿から摘むゾロと、目線で抗議しながらも、黙って摘ませているチョッパーを見て吼える。
「うるせえなあ。それよりなんかないのかよ」
「てめえでやれってんだろが!」
良くこれで咥えているタバコを落とさないものだと、妙なことに感心しながら、チョッパーは皿の上を片付けることに専念した。ゾロの大口で食べられては、あっという間になくなってしまう。今のうち今のうち。
「じゃあ勝手にもらうぞ」
ゾロがテーブルを離れて保存樽の方へ歩いていくのを、視界の端に捉えつつ、パクパクと口に入れる。サンジは苦手なものも食べやすいように工夫してくれていて、この船に乗ってから随分と、食べる楽しみが増えたような気がする。
「ちょっとまてー!それは駄目だ!」
ゾロが保存樽の中から取り出し、持ち去ろうとした一本を見て、サンジが喚く。
「うるせえな。勝手にやれっつったのはお前だろうが」
「許可は取れ!許可は!」
「あーもーめんどくくせーな。どれならいいんだよ。これか?」
「却下」
「じゃあ、これは」
「駄目だ。明日の料理用だ」
「ああ? オレンジジュースなんか使うのか?」
「使う。他のにしろ」
「ったく、あとなにがあんだよ」
樽に首を突っ込むその足元から、不意に声が上がった。
「ジュース、飲んじゃいけないのか?」
真剣な面持ちのチョッパーが、いつの間にかふたりの近くに来ていた。
サンジとゾロは、揃って声の主を見下ろした。
ジュースは手軽なビタミン補給手段だ。医者として杞憂する発言だったようだ。
「余ったら飲んでも良いが、今日は駄目だ」
苦笑して返すサンジは、ほっとした表情のチョッパーを見てふと顔を上げる。
「いまいち口に合わなかったか?」
何のことだろう。
また首を傾げた。そして、サンジの視線を辿り、テーブルを見る。
空の皿に揃えたカトラリーと、きちんとたたみ直して置いたナフキンが置かれているだけだ。
なんだか忙しなかったけど、自分は美味しく食べたつもりだった。
「いまいちおまえのの味覚ってのが解んないんだよな。気に入らなかったらちゃんと言えよ。何とかするから」
言いながら、ちょっと項垂れて片付ける姿に、またさらに首の角度を深くする。どうやら料理人のプライドが傷ついているようだ。
「こうもきっちりたたまれると、さすがにくるわ」
そう言って、チョッパーのたたんだナフキンを押し頂くみたいに。丁寧に取り上げる。
「たたんじゃ、いけないのか?」
素直な疑問を素直に口にしてみると、サンジの動きが止まった。
「きちんとしていた方が良いと、思ってたんだけど」
「・・・美味かったのか?」
「うん、美味しかったよ」
「・・・今だけじゃなくてか?」
「うん。サンジの料理はトナカイにも美味しいよ」
「本当か?」
「???なんで? ずっと美味しかったよ!」
思わず力説するチョッパーに、サンジは勢いよく向き直ると、ずいっと詰め寄った。
「あのバァさんとこにいたんだから、当然知ってると思ってたが、チョッパー、おまえ、テーブルマナーって知ってるよな?」
沈黙が降りた。
「テーブル、マナー?」
「そうだ。知ってるな?」
「知らない」
素直に答えた。
さらに重い沈黙が降りた。
「・・・一つ、聞いて良いか?」
「うん」
「まえはときどき、こいつをきっちりたたんで置くよな」
「うん」
「どういうときに、そうするんだ?」
「すごく美味くて、何となく暇があったとき」
「・・・」
「サンジ?」
歩み寄って、そうっと下から顔を覗き込むと、ガッシと肩を捕まれた。
「知ってろよ、そのくらいー!」
「え、え、え?」
激しく疑問符を撒き散らしながら、ガクガク揺すられるチョッパーの耳に、ゾロの軽く笑う声が聞こえた。
「食い終わったらな、そいつはきちんとたたんでおくもんなのさ」
からかうような口調で、ゾロは意味を図りかねる言葉を吐く。
「てめェー! そんなこと考えて飯食ってたのか!」
チョッパーにかかっていた勢いをそのままに、再びゾロに噛み付く。
「外で飯食ったときには、な。 こいつの作る飯は美味いだろ」
逃げ出しかけながら、振り返ってチョッパーに言葉を足す。
他で食べる何より美味いぞ、と。
「!!!」
一瞬、言葉に詰まったサンジだったが、ゾロの手にしているものを見て、再び眉を吊り上げた。
「待ちやがれ! そいつはさっき駄目だって言った瓶だろうが! 返せー!」
喚いてエプロンを投げ捨て、その脚力にものを言わせて走り出た。
騒々しい足音が、舳先のほうへと流れて行った。
チョッパーはひとり、その場に突っ立っていた。そして、所在なげにポリポリとお腹をかいた。
「相変わらず騒々しいわね」
いつ間にかナミが、二人の出て行った入り口から入ってきていた。
そして、先程までゾロが覗き込んでいた樽からオレンジジュースの瓶を出すと、コップに注いで飲み干した。
「なに?」
瓶を元に戻しながら、彼女は自分をじっと見ている船医の視線の意味を問い掛けた。
だが、チョッパーはフルフルと首を振っただけだった。
「あなたも少し休みなさいよ」
そう言って、ナミは使ったコップをシンクで荒い、クロスで拭いて元に戻した。
完全に証拠は隠滅された。
出て行くナミの姿が消えてから、チョッパーは、ハッと気がついた。
ナミに聞けばよかった、と。
テーブルマナーが何なのか、それはちっとも解決されていなかったからだ。
end
カウンター333&400を踏んでくれたかのう様へのキリリクです。
サンジ、ゾロ、チョッパーがラブラブで・・・との事でしたが、合格?
これで良い? 駄目ッつっても返品不可よん。(笑)
でも、チョッパーってこんなに気が弱くないよねぇ。
皆に遠慮しているとこはあるけどさー。
拙くてごめんですー。
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