「花」、「緑」、「風」



ぼく
 神殿図書館に勤める新人の文官です。
 仕事は女神の研究と雑用。
 とりあえず、この都市国家の貴族の身分です。

あたし
 ここの市中警備隊の西分隊隊長。
 本当は傭兵なんだけどね、何故か居座ってる。
 戦死の腕は超一流だよ!



『花』

 春になって、ちらちらと街路樹の花びらが散り始めるころになると、この町も新しい年になる。花祭りが新年の祭りで、新たな年の門出を祈り、祝う祭りになるのだ。
 ぼくもその年の祭りには、胸を弾ませて加わっていた。
 なぜならその年は、ぼくが神殿付属の図書館へ、文官として勤めることになった初めの年だったからだ。きっとまだ下っ端だろうけど、小さなころから憧れていた仕事に就けて、とっても嬉しかったことを覚えている。家は歴史の長い貴族ではあったけど、落ちぶれて久しい。こねもお金も無いので上級職は望めないだろうが、本に埋もれていられるだけで、幸せだった。本当は中堅どころの貴族くらい余裕があれば、自分の好きなことだけを研究する歴史家になりたかったのだけど、贅沢は言ってられない。図書館の研究員になれれば上々だと思っていた。
 はらはらと舞い落ちる花びらと柔らかな日差しに祭りの喧噪。
 ぼくは、にぎやかさと穏やかさに流されて町を歩き、西門広場で大道芸人の鮮やかな手捌きに目を奪われ、吟遊詩人の豊かな歌声に心を奪われていた。
「そいつを捕まえとくれ!」
 そんなぼくの耳に、不意に飛び込んで来た女性の声は、夢見心地を現実へと引き戻してくれた。
 周囲の人達も同じだったようで、声のする方へといっせいに視線を向ける。
「うちの店の品物かっさらってんたんだ!泥棒だよー」
 口ぶりからして、下町の中年女性を連想させる声が再び起こり、ただぼんやりとそれを聞いていたぼくは、不意に、祭りににぎわう人の間から飛び出して来た人影に驚いて立ちすくんだ。
 片手に重そうな袋を抱えた必死の形相と、人相の悪そうな外見とに、「このひとが泥棒か…」などとぼんやり考えながら。
「あぶないよ!」
 そして、その思考に被さる鋭い声。
 視界を遮った漆黒の光に、ぼくの心は奪われた。
 町の西側一体を担当する、市中警備隊西大隊の隊長。
 豊満な肢体に鋭い剣捌きを兼ね備えた美人の女隊長。
 大輪の花のような、彼女に初めて会ったときだった。


『緑』

「先日はありがとうございました」
 急に声をかけられて、あたしは驚いて足を止めた。
 春うららといったのどかな季節。町の中央にある神殿と役所の間の広場には、植えられた木々に若葉が萌え、柔らかな日差しがゆったりと降り注いでいた。振り返るとそこには、まったくこの季節にぴったりな雰囲気の文官服を着たぼうやがひとり、分厚い本を数冊抱えてこっちを見て立っていた。
 この春入ったばかりのような、ういういしい表情だ。かなり好みのタイプではあったが、あいにくと知らない顔だった。
 先日の祭りでの市中西の警備報告と、これから人の出入りの多くなる各門と、夜間警備についての面倒臭い会議が控えていたので、自分に文官の知り合いなんかいないはずだったと思い直し、立ち止まっては見たものの、やっぱり無視して行くことにして、向き直ると、また呼び止められた。
 渋々振り向いた先で、ちょっと哀しそうな表情で、一途にこっちを見つめる瞳にぶつかってしまった。
 一瞬、こっちが硬直してしまう。迷子の、子犬の瞳だ!
 こっ、これを、無視できないから、いつも余計なことに首突っ込むことになるんだと、分かってはいても、いても、こんな目で見られると、かまいたくなってしまうのだ…。傭兵稼業を長く続けて来て、何年か前にこの町に落ち着いたのだが、短くない人生経験の中で、こんな、情に流されるようなことをしていると、ろくでもない結果になることくらい分かっていても、子犬を拾うと世話が大変だと分かっていても、つい、手を伸ばしてしまうのだよね…。
 結局そのときに、あたしは負けた…。
「なに?」
「あの、先日のお祭りのとき、西門の広場で…」
 何かあっただろうか?
「あの、捕り物があって、そのときに、庇っていただいたんです」
 何件か有ったので分からないが、その内のどれかだろう。
「ああ、あのときの」
 その一言で、ぼうやの顔がぱっと輝いた。
 …いかん。くらくらと、あたしは目眩をおこした。
 こうやってはまるから、後で大変になるんだよ、と思いつつ…。


『風』

 ある日、ぼくの勤める神殿図書館で、盗難事件が発生した。
 館長はすぐに市中警備の人達を呼び、調査を依頼し、新人のぼくを窓口役にした。確かに他の人は皆、この神殿図書館の存在する意味とも言える、女神の研究に忙しくて、それ所じゃないのかも知れない。ぼくだって女神の研究はしたかったけれど、新人なので文句は言えなかったし、それに市中警備の担当はあの西大隊長だったので、黙って引き受けた。
 まだ2回しか会ったことはなかったけど、隊長さんに会えるかと思うと、ちょっと窃盗事件に感謝したくなってしまっていたのも、事実だった。
 館長に知られたら怒られるだろうな、と思いつつも…。
 盗難されたものは、図書館なので、当然、本だ。
 だが、その本がただの本じゃないらしい。多分、この世界に現存する、最古の本と言われているものなのだ。
 普段からあまり外には出さず、館の奥底にしまい込まれていて、一般市民では、その存在すら知っている者は少ないのではないだろかと思われるような本なのだ。ぼくだってつい最近までは、知らなかったのだから。だがそれは女神研究には学術的にかなり重要なもので、他の国でも何人もの研究者が欲しがっていると聞いたことがあった。
「で、その書庫は?」
 一応の分かっている範囲の説明をした後で、隊長さんは、声音を押さえてそう聞いて来た。
 ぼくは一瞬返答をためらった。
 何故って、そこは一般人立ち入り禁止の、重要図書ばかりをしまってある書庫だったからだ。
 でも、現場を見たいと要求があれば、包み隠さず見せるようにと言われていたので、間があいてしまったものの、ぼくは短く頷いて見せて、隊長さんを案内に立った。
 事態を甘く見ている訳ではないだろうけど、やって来たのは隊長さん一人だけで、しかも私服だった。
 いつもの警備隊の揃いの帷子と胸当てに革ズボンではなく、荒布のシャツの重ねに布のズボンと言う男装ではあったけど、ぼくはどうしてもどきどきしてしまう。
 事があまり広がらないようにと館長と隊長さんとで話して、私服で来てもらったんだろうけど…。
 彼女を案内して前を歩きながらも、背中が気になってしょうがなかった。
「また、でっかい扉だな」
 一番奥の書庫の扉の前で、隊長さんはそんな独り言を呟いた。
 この書庫の出入り口はここだけで、本が傷まないように、明かり取りの窓すら付けられていない。
 ぼくたちはランプを片手に、そのほんの収められていた棚へと移動して行った。
「そのでっかい鍵って、それ一個だけかい?」
 尋ねられて、頷いた。
「予備は?」
「ありません」
 そう答えた途端、ぼくはそこに置いてあった踏み台につまずいてしまった。薄明かりの中で周囲を見回しながら、すぐ後ろを歩いていた隊長さんに、思わずすがりついてしまう。
「!」
 ランプの灯をかばいつつ、ぼくたちはもつれて倒れ込んでしまった。
「ごめんなさい」
「…ああ。大丈夫か」
 あわてて誤るぼくのすぐ間直から、隊長さんの声が帰って来た。それに、この上に乗ってる柔らかな重さは…。
 隊長さんの胸だ!
 今もしここが明るかったら、耳まで真っ赤になったぼくを見られてしまっただろう。思わず暗がりに感謝した。
 隊長さんも、ちょっとあわてて身を起こす。
 その豊満な胸元に、一瞬、無事だったランプの光が差し込んだ。 清冽に光を反射した、青い石。
 ぼくは一瞬、目を奪われた。
 胸元の青い石と、その深い谷間に…。
「こんなとこに踏み台を放置しとくなよな」
 彼女はぼくの視線には気づかず、踏み台に文句を言いながら身を起こした。
 ぼくも慌てて立ち上がる。
 そうそう、彼女の胸に、心を奪われている場合ではない。仕事だ仕事。
 急いで、今度は足元にも注意を払って、奥の棚へと彼女を案内した。そして、なかなか収まらない胸のどきどきを隠すように、早口で説明をした。
「ふうん、女神の本ね」
 隊長さんはあまり、興味がなさそうだった。
「外見はどんななんだい?」
「黒の革張りに、金の飾り文字と縁飾りが入った、このくらいの大きさのものなんです」
 ぼくはめいっぱい両手を振り回して、その大きさを示した。
 その異常な大きさに、隊長さんは一瞬、言葉を失ったようだった。 それは簡単に説明するならば、普通の扉一枚分の大きさなのだ。 結局、その桁外れの大きさを持て余した泥棒が、広場に本を放置したことで事件は解決したが、犯人は分からなかった。
 でもこの事件のおかげで、ぼくは隊長さんと気軽に話せるようになったので、ちょっぴり感謝していたりするのだった。


 おわり





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