「between tow things」

 高層マンションのシースルーのエレベーターが、あっという間に隣接する森林公園の木々の上、遥か上空まで、人の身体を運び上げる。穏やかに晴れた空の中から、緑とその向こうの住宅地を見下ろす。マンションには他にも普通のエレベーターが数機、中央のエントランスから上へと延びているが、サコミズはよくこのガラス張りのエレベーターを使っている。部屋から一番近いということもあるが、遠くまで広がる大地の連なりを地上から引き上げられながら眺めるこの感覚が好きだった。
 軍で言えば仕官用宿舎にあたるこのガイズジャパンの上級官舎は、著名な建築家のデザインで、シンプルな作りでありながらも、機能性よりもデザイン性の方が優先されているところも少なくない。サコミズとしては、もっと質素な作りで良いのにとは思うものの、こんな、遊び心で付いているエレベーターも悪くないと思っていた。
 このマンションに住んで数年。ガイズの立ち上げに係わり、アストロノーツのバッジを外し、ニューヨークが落ち着いたのを機にガイズジャパンでの裏方で総本部との調整に奔走するようになって、それから住みはじめたのだが、いつの間にか年月が経っていて、自分は未だ亜光速の時間の中にいたのかと錯覚するような月日の流れに気付いたとき、大きなものがふたつ、彼の元へ転がり込んできた。
 ガイズジャパン総監の椅子と、亜光速の世界の果てで出会った銀色の背中をもつあの一族の若者とが。
 正確には、ウルトラマンである青年を引き取った後その事を追う様にして、総監職への打診を受けたのだ。確かに、現総監は新しい組織の立ち上げには適した経験豊かな男だったが、彼はその経験値と引き換えに、既に多くの時間を失っていて、これ以上その椅子に引き止めることは出来ない年齢になっていた。年功序列で回ってきたとしか思えないと、サコミズはニューヨーク以来で、先日から再び秘書に付いてくれることになったミサキユキサへそう零したが、彼を最良の上司と評するミサキはただ、サコミズの能力故だとにこやかに返してくれた。
 エレベーターの窓から見えるのは、穏やかな青い空。
 何の為にガイズが必要なのかと、立ち上げに反対する輩との議論にはもう飽いたと何度も思ったが、それでも、今、平和なこの青い空とその下の世界を、いざと言うときに守れないのでは、何の為に我々はあの暗い宇宙で銀色の背に庇われているのか、何の為の先達の残した教訓なのかと、何も出来なかったときに思わなければならなくなるからと、組織の立ち上げと確立に全力を注いできた。
 穏やかな青い空と、柔らかな陽光に包まれた緑と町並み。
 緩やかに眺め降ろして、エレべーターが指定階に到着した音に、顔を上げた。
「ただいま」
 玄関の鍵を開け、ドアを開けてそう言うと、奥から慌てたような気配が伝わってきて、その予想通りの反応に、サコミズは可笑しくて笑った。
「おかえりなさい。え、でも、まだ」
 サコミズの書斎から持ち出してきたらしい本を数冊抱えたまま、明るい髪色の青年が、驚いた顔で玄関へとやって来て、しきりと窓の外とサコミズとを見比べていた。明るい時間にサコミズが帰宅したことが不思議でならないらしい。
「今日はね、わたしは休みなんだよ。残してしまった仕事を片付けに仕事へは出かけたけど、終わった途端にね、休みの日にまで来ないでくれと、ミサキさんに追い返されてしまった」
 肩を竦めて言えば、「ミサキさんにですか?」と、また不思議そうに瞬かれてしまい、苦笑した。しっかりと後ろからサコミズを支える、普段は控え目に振舞うミサキに追い返されたとは、信じられないという表情が可笑しくて、意味を汲みきれない幼さが少し苦い。
「休みの日にまで働いて、わたしが身体を壊さないかと心配してそう言ってくれたんだよ。彼女が本当に怒ったわけじゃないんだ」
 説明すれば、ほっとした安堵の表情を浮かべるので、サコミズも胸を撫で下ろす。
「お昼ごはんは、食べた?」
 椅子の背に上着を掛けながら、きれいなテーブルの上を見て訊ねれば、「・・・まだです」という小声の答えに、持ち上げた腕の時計はもう2時を指していた。
 昼間、この部屋にはこの青年ひとりだけだ。最近では外出することもあるようだが、大抵この青年はここでひとりで、未完成の人間としての知識を詰め込んだり、ガイズやそこに蓄積されている以前の防衛隊のアーカイブをサコミズのIDから引き出して、端から読み漁っている。今日はどうやら、昨日から引き続き、ガイズに配備されているガンクルセイダーの性能とその操縦、それに、そこに付随してくる演習記録とシュミレーション訓練の記録を詰め込んでいるようだ。手にしているのは、航空防衛の歴史。そうして昼を過ごし、夜遅くに帰ってくるサコミズを待つ。夜が遅くなる分、昼食がずれ込んでいても不思議は無いが、12時ごろからが普通の習慣だと教えてあったからか、今の時間まで食べずにいたことを悪いことをしたとでも思っているのかもしれない。
 きちんと食事を摂るようにと言ったのは、サコミズだ。地球に来ていた先達にもそのことは教えられていたらしく、食べることについては他の生活習慣のような疑問は出されなかったので、そのまま何も聞かずにいるが、この青年が果たして、口からエネルギーとなるものを摂取する必要があるのかどうかは、解らなかった。だがそれでも、きちんとした味覚は持っていて、多忙な中で用意してやれるレトルトやインスタントの食品以外にも、サコミズの作る簡単な朝食も口にしては、嬉しそうに美味いと表現する。
 この青年を引き取ってからいままで、朝食以外のきちんとした食事を一緒に摂ったことは無かった。どんなものが好みだったのかも、あまり聞いていない。そう言えば、彼の勉強の実質的な話以外、余計な会話もあまりして来なかったと思い当たる。
 少し項垂れたような仕草のまま、本を手に立ち尽くしている青年を視界の端に置いたまま、サコミズは上着を脱いで椅子の背に掛けた。
「実はね、私もお昼ご飯は未だなんだ。何か作るから、手伝ってくれるかい。ミライ」
 呼びかければ、弾かれたように顔を上げ、満面の笑みを向けてくる。
 この素直さが、サコミズはときどき恐ろしい。
 この真っ直ぐな姿勢が、いつかどこかで傷つくのが恐ろしい。
 バンが別れ際に贈ってくれた言葉をそのまま、地球上での名としてもらったこの青年の素直さが、悪意によって傷つけられるのが恐ろしい。
「いったい自分でも何をストックしてあるのか、解らないところが困るんだよね・・・」
 冷凍庫や戸棚を開けて、久しぶりに自分の家にどんな食料があるのかと見て回れば、週に一度だけ来てくれる家政婦が買い置いてくれる、判で押したような朝食用の食材の他は、缶詰程度しか見つからなかった。ミライはその後ろから、興味深げに一緒に保存庫の中を覗いていた。
「サンドイッチかな・・・」
 出してきたものをキッチンカウンターの上に並べて呟けば、横で小首を傾げる仕草。説明するよりも早いだろうと、袖を捲って調理に入った。
 朝食の準備は彼自身が申し出てくれてからはって手伝ってもらっているので、キッチンでの簡単な用語は解ってくれているし、サコミズの好みの豆の挽き方も知ってくれている。
「ゆで玉子をみじん切りにしてね」
 コーヒーメーカーをセットし終わったミライに、そう言ってまな板と包丁を渡せば、おっかなびっくりながらもきれいに切って、指示しておいた既にサコミズが玉ねぎのみじん切りにして入れていたボウルに、そうっと入れる。それから、味付けする手元を、興味深げに見つめていた。朝食のサラダ用に買い置かれてあった胡瓜も全部スライスして搾って味をつける。この後、買い物に行かなければならないなと思ったが、この青年の外へ向けての実地のひとつだと思えば、億劫なことよりもどこか楽しい印象のほうが強くなる。やはり買い置いてもらってある一斤の塊のパンを、朝のトーストよりも薄く切り分けてバターを一緒に塗り、黄色と緑のサンドイッチを作り上げた。
 盛り付けた皿にトマトとパセリを添えれば、コーヒーを注ぐサコミズの前で、ミライは純粋に、嬉しそうな目で出来上がったものを眺めていた。
 自分がつくれるものは、こんな程度のものだ。
 実はそれなりに料理が得意なミサキの腕前を見たら、この青年の反応はどうなってしまうのかと、想像してすこし可笑しかった。
 揃ってテーブルに着いて、短い決まり文句を口にしてから、手を伸ばした。
 その言葉の意味は、最初に教えた。
 それ以来、ミライの中には定着しているようだが、彼にとってそれが必要なことなのかどうかは解らない。人間の、地球での生活習慣を押し付けているような気もするが、この部屋から一歩出たとき、人間として振舞うのに、必要な仕草のひとつだと思った。
「美味しい!」
 自分の刻んだ玉子の入ったサンドイッチを食べて、目を輝かせて素直な感想を口にする姿が、微笑ましい。
「そうだね」
 サコミズも口にして笑めば、返される屈託の無い笑顔。
 空しか見えない高層の窓の外には、穏やかな青が広がっていた。
 緩やかな青は上ればそれだけ深い青へと繋がっていき、やがて、光を乱反射する大気を無くして、宇宙の闇色へと変わる。この青年をこの地へ派遣した一族の、あの銀色の背中に出会った空間へと。
 考えれば、一瞬でも、あの場へ戻りたい激しい憧憬に襲われる。
 自分は地にあるべきではなく、真空のあの空間で、時に見放された時間の中で、誰よりも遠くへと行くことを、己の課題としていたいと。
 湧いた感情が表情に出てしまったのか、目の前の笑顔が少し曇って、首を傾げられた。
 ゆっくりと押さえて、なんでもないと笑めば、それで終わる。
 穏やかな、青い空。
 これを守るために、自分はここにいなければならない。この地に立って、来なければ良いと願うそのときに、守らなければならないのだから。
「夕方、買い物に出なければならないから、一緒においで。外での食事も、してみないとね」
 全てを押さえ込んで、いまを演出する。
 戸惑うような仕草での頷きと返答に、安心感を笑みで返した。
 抱え込んでしまったものは大きくて、いつか自分の手に余ってしまうかもしれないが、それでも、それが自分をこの地に縛り付けるものでは無くて、引き止めてくれるものだから、出来るところまで、抱えて、負って行きたいと思った。
 穏やかに、晴れた空。
 この穏やかさが、壊される日が来なければ良いと、心の中で思いながら。


end





と言うことで、サンドイッチの作り方は、サコミズさんから習った不思議ちゃんです。
不思議ちゃんは5thエレメント(私的第一印象)なので、毎日お勉強することは苦じゃありません。
日常生活も、お勉強です。(そう言うことにしておいてください)