「your name」
サコミズがその電話を受けたのは、三日振りにデスクへ戻ってきたときだった。オーバーテクノロジーの実験開発が実用段階に入り、殆どハンガーか実験室に泊り込みで調整を続けている時期だったので、居合わせたその時に、そのいっときに書類で埋もれそうなデスクの電話が鳴ったことと、その相手、そしてその内容に、現実主義者でありながらも、軽く運命のようなものを感じたのも事実だった。
かつての部下で、いまは自分よりも年上になってしまった男からの、その連絡に。
瀟洒な佇まいの続く、屋敷もりの緑も多い都市郊外に建つ伴邸を辞した後、サコミズの運転する車はそのまま、閑静な住宅街を離れ、都心を抜けて、ガイズジャパンに程近い住宅街へと辿り着いた。
森林公園を挟んで広がる、戸建住宅の並びと、高層マンションの連なり。
車は、高層マンションの足元へと滑り込んだ。
伴邸で引き合わされ、その身柄を託された後、促して車へと乗せ、とりあえず自分の家へ行くと告げたサコミズに、その青年は小さく同意の返事を返したものの、車の中ではずっと黙っていた。かつての部下が亡くしたと言っていた息子と、寸分違わぬ姿をして現れた、人間ではない者。何が悪いのか解らずとも、自分が人を傷つけたことだけは理解できて、頭を下げる素直さをもち得た、人ではない存在。助手席で、俯き加減に流れる風景を眺めていた横顔を、サコミズは何度か盗み見てここまで来た。
「着いたよ」
言えば、不思議そうに上げられる眼差しが、車のフロントから高層マンションを見上げて、地下の駐車場へと入るそのルートを見つめていた。
決められた場所に車を止め、降りるように促す。
地下の圧迫感の強い空間だからか、不安げな眼差しが向けられ、自分の住まいはこの建物の上階だと告げて、再び促した。
IDを掲げて、直通のエレベーターへ乗る。
シースルーのエレベーターの壁面が、地上に出た途端、身体を空中へと引き上げて、人を翼あるものの視点へと近づけていく。
ずっと黙っていた青年が、瞬いて、一歩、透明な壁へと踏み出した。
きっとそれは、彼の持つ視点への親近感からだろうと、サコミズはその背を眺めた。
デニムのジャケットにベージュのパンツ。
持ち物は何もない。
いま視界の中にある全てが、この地にあるこの青年の全てだとわかる。そして、たぶん、いま見えない別の姿を、この青年が持っているであろうことも。
やはり促してから自分が先に立って、エレベーターの着いた階にある部屋へ上がった。地球の中でも、この日本での住まい方として、靴を脱ぐことを知っていることに、少しだけ驚いたが、何も言わずにそのまま居間へと導いた。
ここへ、この地球へ、派遣されてきたのだと聞いた。
そう彼が語ったのだと、バンから聞いた。
冥王星の軌道上で出会った、銀色の広い背を持つ存在からも、少し前に、ここへ派遣されてくる新人のいることは聞いていた。トップシークレット扱いだが、歴代の守護者達も、この地では人の姿を借りていた。多分、そんな風にして現れるのだろうとは思っていはた。出来ることならば、力になるべきなのだろうとも。だが、どうやってその者を探し出したら良いのかと思っていたその矢先の、この現実。他の守護者達がどうだったのかと、当時の各防衛チームの者達に尋ねる間もなく転がり込んできた、おそらく幼いほど世慣れせぬこの青年に、正直、サコミズ自身もどう向き合って良いのか、少しばかり戸惑っていた。
居間へと通されても、勧められもせぬ椅子に掛けるでもなく、やはり戸惑い気味に立ち尽くす姿。
車の中での沈黙も重かったが、それ以上にサコミズにとってその時間は、この、若すぎる精神構造を持つ異星人を引き受けて行く、言うなれば保護者となる覚悟を決める時間として、必要だった。人として完成しきらぬこの存在を、抱えて行く覚悟を決める時間として。
先ずは、座るように促した。
とにかく、何処かに踏み込んで見なければ、何もはじまらない。
「大体のことは、バンから電話で聞いているし、さっき向こうでも話したから、君についての大まかなことは、分っているつもりだ。 わたしについて、何か聞きたいことはあるかい?」
なるべく、穏やかな声で尋ねてみた。
座った姿勢のまま、上げられる戸惑いの視線が揺れたて、何かを探そうとしているのが見て取れたが、辛抱強く待った。だが結局、小さく首を振る仕草とともに、何も思いつかないと示されただけだった。
「そう。じゃあわたしが君に、いくつか聞いて良いかい?」
惑いながらも無言で頷く仕草の返答が、先程と同じく幼く見える。
「名前は?」
迷子の子供に尋ねるようだと、自分の言葉に胸の片隅で苦笑したが、返される戸惑いの色の濃い眼差しに、苦笑は図らずも表面に出てしまった。
「・・・ウルトラマンメビウス」
小声だったが、はっきりと聞こえた名乗りに、サコミズは苦い笑みのままだが、笑んで返した。人ではないのだ。過去の防衛チームの記録を元にしたアーカイブの中に残る、銀色の巨身の呼称に連なるような名を、この青年が名乗っても、何の不思議もない。
「・・・メビウスの輪って」
不意に続けられた青年の言葉に、瞬く。
「ウルトラゾーンに引き込まれる直前に、ヒロトさんがそう言って、僕を、ウルトラマンメビウスって・・・」
消えそうな声は、この自分の言葉がまた誰かを傷つけるのではないかという、そんな恐れを抱いているからなのだと分る。
「・・・そう。ヒロトくんが」
会ったことはない、かつての同朋の息子。
この目の前にあるのと同じ姿だという、この青年の手が間に合わなかったという、この地に降り立ったことのない、人間。その彼が呼んだ、この異星人のいつか登録されるであろう、レジストコード。
「・・・あの、メビウスの輪って」
どうやら今の発言が、バンの前で晒してしまった失態のようなことにはならないと分ったのか、それでも小さく、青年は自分の無知を埋めるべくサコミズに尋ねてきた。宇宙にあればどうなのかは分らないが、この地にあっての彼の知識は、決して多くないのだろう。だが、知識欲が豊富なことは悪くないと、サコミズは思っていた。
少し考えてから、椅子から立った。そして、備え付けのプリンターから紙を一枚引き出して、はさみで一本のテープを切り出した。
「これがね、メビウスの輪。昔の学者が提唱した理論だよ」
その太目のテープを一捻りして短手を張り合わせて輪を作る。
「こうするとね、この紙には、表も裏もなくなってしまう。そして、こうして切れば、輪は輪のまま大きくなる。繰り返していけば、無限大に広がっていく」
中心から切り分け、ひとまわり大きな輪になったテープを、不思議そうに眺める青年に渡せば、ここまでの硬い表情に代わり、本来のものであろう、自分自身の興味に素直に向き合う、明るい眼差しがその横顔からも見て取れた。
幼いのだと、改めて認識する。
戦うということには秀でた一族なのだろうが、この青年自身はまだ、もしかしたら、このバンヒロトの外見の年齢にも満たない程、若いのかもしれない。まだこれから、この先へと、無限大に広がって行く存在なのだろう。彼が手にしている輪のように。
「・・・これからの、君のようだね」
小声で、呟くように口にしていた。
振り返られた眼差しに、そんな自分自身に、また小さく苦く笑った。
「それで、ウルトラマンではない、君の名前は?」
バンヒロトを名乗るつもりなのだろうかと、暗に訊ねてみた。
青年の表情が、また曇る。
「・・・ヒロトさんの名は、名乗れません」
察してか、そう返されて、少しだけ安堵した。バンにとっても、この青年がヒロトの名を名乗ることには、今はまだ耐えられないだろう。だが、だからと言って、この地上で他に名乗る固有名詞は無いようだった。
「そうだね。でも、なくて済むものではないから、何か考えないとね」
柔らかく言っても、また曇ってしまった表情は少し俯いたまま、先程のような明るさは戻って来ない。
「君が嫌でなければ、地球人としての名は、バンの言葉からもらうといい」
差し出した提案に、向けられた視線が瞬いていた。
「彼には、ヒロトくんの代わりとしての君を、受け入れることは出来なかった。でもね、君を君としては、認めてはくれている。だから君の為に、言葉をくれている」
言葉を繋いでいけば、何かに気付いたように上げられる眼差し。
「・・・僕の、日々の未来に」
「幸多からんことを、・・・願うってね」
発せられた言葉に、続けて言葉を足す。
「意味は、わかるよね」
頷かれて、安堵する。
「メビウスの輪は、無限大に広がって行く。君の生きていく日々も、明日へ明日へと、ずっと続いて行く。ヒロトくんのくれた名前と、バンの言葉は、これからの君への贈り物だ。君を表す、大切な名になるよ。・・・ミライ」
呼びかけに、戸惑うように瞬く眼差し。
「ヒビノミライは、贈られた名だと、思うよ」
亡くしてしまった息子として、ヒロトとして生きることを許したくは無くとも、目の前に現れた青年を、その人として、その一個人として、その存在へ、その幼さと優しさを受け入れて、幸多かれと贈られた言葉。
「・・・良いんでしょうか、そう名乗って」
戸惑いの中の、泣き出しそうな歓喜が、この青年の素直さだと思う。
硬く俯いた表情ではなく、何も隠せない素直さが、真っ直ぐな心が、この青年なのだと思う。
「良いと思うよ。そう、贈られたんだから」
言えば、デニムの袖口で目元を拭う仕草。
迷子の子供だったのだ。所業を諌められて、その意味も分らずに、行く宛ても無く、己の使命だけを抱えて、ただ立ち尽くしていた。
思わず腕を伸ばして、そっと肩に手を置いたが、否定はされず受け入れられた。
「良かったね。ミライ」
二度目の呼びかけに、今度は素直に向けられる眼差し。
「・・・はい!」
曇りの取れた表情は晴れやかで、はにかむような嬉しさを混ぜた笑顔は、透明な大気の向こうに広がる、晴れ上がった夏の青空のようだった。
表も裏も無い、真っ直ぐな心。
曇りの無い、素直な眼差し。
幸多かれと願うことを、誰も悪いとは言わないだろうと、サコミズは思った。
まだ会ったばかりのこの青年の、無限に広がる明日に向けて、幸多かれと願うことを。
end
ええとー、そう言う事で、名前編です。
誰がヒビノミライと名乗ることを提案したのか、ちょっと気になりましたし、バン親子がルーキーのどちらの名もつけたってのが、気になっていたというか、私的に感動的だったので、ちょっと、書いて見ました。