「good but too much」
サコミズは最近、家に帰るのがちょっとだけ憂鬱な日がある。
普段多忙な彼は、なかなか自宅へきちんと帰ることが出来ないのだが、月に数日は、ミサキユキによって強制的に、丸一日の休暇を取らされるので、そのときばかりは前日の夜からちゃんと、フェニックスネスト近くの官舎へと帰っていた。総監職への就任と同時に隊長職を兼任するようになる前からも、殆ど寝にだけ帰っていたような自宅ではあったが、今はそれまで以上に帰れなくなってしまっていた。そんな主人の帰らない家でも、週に数日は家政婦が入り、きれいに清掃して整えておいてくれるため、いつでも気持ちよく帰ることが出来る。
だが、この家には、家政婦のほかにもうひとり、出入り自由な者が居て、彼は昨日、休みのシフトだったのだ。
遠い星からこの地球に来て、何も分らないような状態から自分の元に預けられた、真っ直ぐな目をした青年。
ミライはガイズの一員としてフェニックスネストに自室を持つ前は、短い間だったが、このサコミズの自宅で生活していた。不慣れな彼にサコミズは、地球の特に日本の習慣や、対宇宙への専門知識から極普通の一般常識まで、出来うる限りのことは教えたつもりだったが、本来人が何年にも渡って積み上げてきた文化を、僅かの間に全て見につけることはどうしても不可能で、ミライがガイズの一員となってからも、サコミズのフォローは必要とされていた。また、机上の知識だけではなく、体験としてしか知ることの出来ない事柄も世の中には多く、食事の味や感触もそのひとつで、ミライは新しいクルーをスカウトしたときにはじめてであったカレーが、事の他気に入ったようだった。
明日の休日を前にして、しっかりと休暇を取るようにとミサキには何度も言われた今日だったが、一日の不在を予想しての諸事を片付け、何とか久しぶりの自宅へと帰りついたのは、結局、深夜近くになってからだった。
どうしようかと少し迷ったが、結局無言でドアを開けた。
声をかけても応える者はいない、もうずっと迎える者のない、長いひとり暮らしだ。いっとき、ほんの少しの間だけ、ミライがいただけだ。
ドアを開けると、家政婦が整えて帰ったのよりは、少しだけ生活感の加えられた空間に迎えられた。
ちょっとだけ曲がった玄関マット。
掛け方の甘いスリッパ。
片側が開けられたままになっている、カーテン。
それから、微かなカレーの匂い。
昨日、ミライが来ていたことは確かなようだ。
ちょっと笑って、ちょっと溜息を吐いて、サコミズは靴を脱いで上がった。
食堂テーブルの上に置かれた、メモ。
上着を椅子の背に掛けて、読んで、困ったように苦笑して、キッチンへ向かった。
鮮やかなカレーの匂い。
私用した後の、洗っても片付けきられていない、幾つかの調理器具。
冷蔵庫を開ければ、いつもちょっと乱雑に放り込まれている、何種類かの使いかけのカレールーの箱の代わりに、鍋がひとつ、そのまま押し込められていた。
笑って、冷たい取っ手を持って出し、蓋を取ってみた
褐色の固化した液体の上で、ターメリックの黄色を含んだ油が冷えて固まっていて、食べたら舌にザラザラと残りそうだなと、経験が感じさせる。
もう、いいかげん、カレーは飽きたんだけどなと、心の中で溜息をついて、鍋を火にかけながら苦笑した。
ミライは休みに日には、大抵ここへ来て、自作のカレーを作って楽しんでいる。フェニックスネストの宿舎にだって、簡単なキッチンはついているのに、彼はここへ来て、そんな風に休暇の時間を潰す。
暖められて際立ってくる独特のスパイスを混ぜた香りと、溶け出した冷えていた油。やがて沸々と褐色の液体面が揺れてくるまで、サコミズはただぼんやりとそれを眺めていた。
明日の自分の不在が、やはり気になる。何も無いとは思うし、あったとしても、直ぐに駆けつけられる距離にある官舎だ。そう思いはするのだが、総監も隊長も同時に不在になることが、やはり気にかかる。兼任の辛いところだと自分で苦笑したが、それだけで、何となく、溜息が出た。
カレーの量は、かなりたっぷりとある。ひとりで食べ切るには当然、明日の昼もカレーだろう。
ミライの休暇の後に自分の休暇があるときは、必ずこうしてカレーになる。こんな時間だが夕食は未だなので、とにかく冷たいご飯を温めて、これで夕食にしてしまえるが、明日のメニューも決まっているかと思うと、少しだけ憂鬱になった。
カレーが嫌いなわけじゃない。
アストロノーツ時代にも、昔の名残だとかで、週に一度カレーが出た。いや、カレーを模した食事の日があった。
だが・・・。
盛り付けたカレーライスを手に食堂テーブルへ戻って、サコミズはやはり疲れた風にどかりと椅子に座った。
男ひとりの家の中で、夜中に摂る食事。
何となく滑稽だなと苦笑して、それが自分なのだとまた笑う。ニュースでも付ければ良いのだろうが、今さっきまで書類や諸事の片付けに追われていた身なので、煩わしいことはこれ以上聞きたくなかった。
静かな中で、金属と磁器のぶつかる音をたてて、ひとくち口に運んだ。
美味かった。
空腹と言うこともあるが、腕前が上がったなと少し笑んだ。
何事にも真っ直ぐに向き合う、真摯な姿勢と素直な心。
こんなところにも、ミライの地球で暮らす中の成長が見られて、微笑ましかった。
半分ほど食べて、一息つく。
美味いが、やっぱりね、と、サコミズはちょっとだけ苦く笑った。
やっぱり、そろそろ、カレーじゃない他の料理にも挑戦してもようよと、提案しようと思って、苦笑してまた、残りのカレーを口に運んだ。
end
テッペイさんのマードレからあれだけ絶賛されたカレーですから、多分、一朝一夕にはそこまで行かないだろう、相当研鑚したのではないかと思い、じゃあ何処で腕を磨いたかと考えて、こうなりました。(笑)
でもサコさん言ったとしたら、途端に今度はサンドイッチ攻撃がはじまったりして。(笑)