ファウルチップ /ステファニーR




 サバキが入院をした。

 怪我はたいしたことはなく、過労が主な原因なので、充分な休養と栄養さえとれば、時間はかかるが復活できる。現場では、さすがのベテランももうだめかと冷や冷やしたものだが、とりあえずは一安心だ。
 そう、だから問題は、別の所に有るのだ。
「今月大ぴーんち」
 自宅の居間でパソコン画面を見つめながら、石割はぼんやり呟いた。
 鬼がいなければ出動日数が減る。と言うことは出動手当ががくんと下がると言うことになる。それはつまりイコール生活費の減少。
 真っ先に切り詰める対象になるのは、嗜好品。酒や煙草

………煙草………。

「煙草吸えなきゃ死ぬ」
 サバキが入院したせいで変更になったシフト表を眺め、石割は「よし」と呟くとたちばなへ行くべく立ち上がった。



 まだ街も動き出さない早朝、青いエレメントが走る。運転席に石割、助手席には不機嫌そうな顔をしたこの車の持ち主。
「…んだぁ? まだぶすくれてんのかよ」
「………」
「あれだ。お前サポーター欲しいって言ってたんだろ。だからベテランサポーターの俺が臨時に付いてやってんじゃないか」
 希望がかなってんだからもっと喜べよと、石割は上機嫌だ。
「俺はオッサンサポーターなんか欲しくないっつーの! かわいいサポーターのがいいんだって」
 ダンキは自分の不幸をこの上なく嘆きながら、ビシッとカーオーディオを指さした。
「大体何でAMラジオ!? 今時の若者はFMなんだっつーの!」
「黙れ若造。FMなんか山に入ったら聞こえねぇだろ。その点AMはいいぞう。山でも聞けるし最新ニュースもチェックできる」
「ニュースなんかネット使えばいーじゃん。携帯で一発だろ!」
「ばーか。わかってねぇなぁ」
 AMにはもっといいとこがあんだよと、石割はニヤリと笑った。
 だがダンキにはその言葉は届かない。ぶつぶつと文句を続けている。
「…大体なんで俺な訳? サポート付くならバンキに付けよ、サバキのオッサンの弟子だったんだから」 「…バンキは駄目だ…」
「なんで」
 何か弱みでも握られてるのかと、軽口をたたこうとしたときである。
「アイツすぐ泣くからつまんねーんだよ」
「………」
 ダンキは返す言葉が見付からなかった。
 穏やかな風貌と、鬼とは思えないほどやわらかな物腰ではあれど、その芯には確としたものがある、まだ二一歳の学生とは言え、辛い修行にも耐えて鬼になった。そのバンキをつかまえて『すぐに泣く』とはどういうことか。
 だがこの石割というベテランサポーターにかかると……。
 どんな事になるのか、考えるだに恐ろしい。

 ダンキは再び黙りこんだ。
 だが今度は、ふてくされている訳ではなかった。何か得体の知れない畏れを感じ、言葉が出なかったのである。



「信じらんねー! マジ信じらんねー!」
 普通なら一週間だが、変則になったせいで10日となってしまったシフト明け翌日。
 サバキの所へ行くと立花で漏らしたら、バンキとショウキ、エイキの3人から是非見舞いを持っていけと結構な額を託された。バンキはともかく、ショウキとエイキはどういう風の吹き回しかとおもったが、よく考えると、皆サポーターのいない鬼だった。
 ………………考えていることが手に取るように分かって涙を誘われた。
 これはもう、本当に早い所サバキに復活してもらわなければならない。でないと、被害は増えるばかりだ。
 とりあえず見舞いには果物だろうと、でっかい果物の包みをどんとサバキの目の前のテーブルに置いたダンキは、一言叫ぶなり、ベッドの脇の椅子にどかっと座り込んだ。
「のんきに入院なんかしてんじゃねーっつの!」
「ええ? おれ?」
 突然やって来て、見舞いの品らしい物を押し付けた珍客に、サバキは驚くことしか出来ない。
「どーなってんだよあのベテランはっ! 何が『運転できる鬼っていいなぁ』だ! 突然運転代わらされて、あのベテランいきなり……」
「あ……あーあー」
 何か思い当たることがあるのだろうサバキは苦く笑った。
 ダンキはサバキの様子にも気付かないまま、グッと拳を握りしめた。
「ラジオにリク電始めやがったんだぜ!! しかもやたら長ったらしい電話をよ! オペレーターのお姉ちゃん口説いてどうすんだっつの!」
「いや……アレはアレで結構楽し……」
「ああ?」
 ダンキににらまれて、サバキは首を竦めた。いつも助手席で自分がやってたことをやったらしい。微妙な罪悪感が胸を満たす。
 ただし、自分の場合は車の免許をもっていないから運転を変わることも出来ないし、現場につけば鬼としてハードな仕事が待っている。移動中のこれが唯一の楽しみなのだと、言い訳にもならない理屈をこねて、サバキは目の前の籠からりんごを取った。
「……林檎食べるか?」
「食う」
 器用に果物ナイフで林檎の皮を剥いて、ダンキに渡すと、彼は無言でしゃりしゃりとかじりついた。
 石割がどんなサポートをしたのか、長年の付き合いもあるのだから大体想像はつく。こと仕事に関しては、真面目にこなすが、今回組んだ相手が若いということで、無理を強いたのかも知れない。
 かつて、自分の弟子だったバンキを鍛え上げたころの、石割のバンキの扱いを思い返して口元を歪める。
「……確かに…ベテランなだけあるけどよ…」
「ん?」
 なんだかんだで仕事はうまくいったし…と、言いにくそうにダンキは呟いた。石割のサポーターとしての能力を認めていないわけではないのだと、そう言っているのだと理解して、サバキは小さく笑って、年若い鬼を見た。
「けどよ、それ以外最悪! 被害広がんねぇうちに、早いとこ退院しろよなっ。もう怪我スンナ!」
「どーすっかなぁ。ここのナースのオネェチャンみんな可愛いからなぁ」
 悪びれるでなく冗談まじりにそう言うと、ダンキは顔を真っ赤にして立ち上がった。
「…ンのクソオヤジ! 地獄に落ちてテメェが閻魔裁き食らいやがれっ」
「巧いこと言うなあ。座布団二枚くらい?」

 若造鬼は結局、関東最年長鬼にぎゃふんと言わせることも叶わず、彼の飛車に感じた物と同じ敗北感を感じつつ、思い切り脱力して家路についた。

 1週間のオフが明けて再びシフトについた時、運転席に石割が座っていませんようにと、これから毎日祈ろうと、決意を新たにした段田大輔25歳の夏だった。