エサ-bait-/kiya
午後の日差しが、とても穏やかだった。
渓流のせせらぎの聞こえるような、少し開けた渓谷沿い。広い川原には、陽光が降り注いで、眩しい。
流石に川原にテントを張るような無謀なことは、長年にわたって鬼と鬼のサポーターをやってきたベテランチームがすることは無く、川原から一段上がった、車を置いた残りの狭い平地をテン場としていたが、ディスクのボックスを展開する作業台やテーブルは、開けた川原へ下ろしてあった。
「はずれー」
石割は銜えタバコでそう言うと、手にしていたディスクをボックスへと戻す。
それから、最近はディスクのリーダーも小さくなって、鬼でなくとも再生するのが簡単になって、扱いやすくなったよなぁと、テーブルに置いた銀色の機械を眺めた。眺めながら、現場に入って三日目の無精髭の顎を撫でる。
最初の頃はビデオデッキ状態と言うかレコードプレーヤー状態で、スピーカーも別で、再生するのに電源が必要だったから、現場車には発電機が積んであったよなぁ。煩かったよなぁあのダイナモの音。燃料も積んでこなきゃならなかったから、危険物運搬の免許もとったっけ。あまりにも装備が多いから、いっそのこと現場車は二トントラックにしようかという案も出たんだっけと思い出し、随分長いこと現場にいるじゃねーか俺、と考え至り、「じじくせぇ」と呟いて口の端から煙を吐いた。
「ヤダねー」
石割は自分の思考をそう言って嗜めて、次のディスクを手に取った。
CDプレーヤー状態のそれにセットして、高速で再生される音に聞き入る。
高音の再生音の中に混じり、低い異音が聞き取れた。
「よっしゃ、当たりだ!」
現場入りして三日目のヒットに、ベテランサポーターも笑みを浮かべる。
とにかくこれで、「手の空いてる弦の使い手がサバキしかいないから、さっさと行って片付けておいで。その後のオフは一日多く取れるようにしておいてあげるから。がんばって、ください、ね」とたちばなでおやっさんに追い出されたところから始まる突発出動は、何とか終わるようだ。
他の現場明けで、とにかく睡眠をとって身づくろいを整えて特急で報告書を作成して、さあ遊びに行くぞと気合を入れた矢先に緊急呼び出しがかかったのだ。正直言って、気分は連荘。麻雀は面子を揃えるのが面倒だし、雀荘は色気が無くてつまらないから行かないが、気分は連荘。一日多く休みをもらったとしたって、現場に三日も出ていれば、差し引きマイナス二日じゃねーかよと理不尽さに顔をしかめながら、当たりのディスクをひらひらと動かし、石割はテントへと向かった。
「おーら、起きろ! 鬼の出番だー」
きっちり閉まっている入り口のファスナーを開け、銜えタバコのまま声を掛けて、中に手にしていたディスクを放り込んだ。
「・・・・いてっ」
手から離した途端に円盤状を解いたディスクに突付かれでもしたのか、テントの中からは眠そうなサバキの声。「鷹かよぉ」と続けられて、起き上がる気配がした。
その内にごそごそと入り口が開き、やはり現場三日目の無精髭の鬼が這い出てきた。その後ろから、アカネタカがちょんちょんと跳ねるように出てきて、サバキを見上げる。
流石に関東支部最年長には、連荘の上に探索三日は楽ではないと、仮眠をとっていたテントから這い出してから、「うー」とか「ぬー」とか掛け声を掛けながら、ばきばきと身体を伸ばした。
「山三つ向こうの、隣村の中だ」
身体を伸ばす動きのまま、ラジオ体操第一に突入しかけたサバキに、石割は容赦なくカバーを外した閻魔を押し付ける。
「げーっ。それって、一番遠くへ探索に出した組じゃねーか。鷹だから遠いとは思ったが、遠すぎだぁ」
退治前から情けないことを言う鬼のケツを、サポーターは情け容赦なく蹴飛ばす。
「遠かろうがなんだろうが、行け。片付きゃ帰れるんだよ」
蹴飛ばされて、閻魔を抱えたサバキが仰け反る。
「いてー」
「俺はさっさと帰りたいんだよ」
「そりゃそーだ。俺だって帰りたいよ。ミミちゃんに仕事明けたら会いに来るからねって言ったきり十日目だぜ。怒られちゃうっての。まあ、ミミちゃんは怒った顔も可愛いんだけどな」
「ああ、この前お前が話してた店の女の子か。確かに、彼女はなかなか可愛いな」
「んあ? 何でお前がミミちゃん知ってんだよ」
「お前がピンクローズへれみちゃんに会いに行ってる間にちょっとな。可愛いこだけど口説かないでおいてやる。俺は今のところマキちゃんが本命だからな。浮気はしない」
石割は軽く腕を組んで、不審そうに振り返って見ているサバキへ、したり顔で頷いて見せた。
「お前なぁ、あの店は俺が見つけたの!勝手に出入りすんなよ! ・・・ってか、マキちゃん、ピンクローズ辞めただろうが」
サバキとしては、新規開拓した可愛い女の子のいる店は、相棒と言えども易く教えたくないらしい。下手をしたら、自分じゃなくて石割の方がもてるのだ。危険要素は排除しておきたいのか、とにかく吼えておいてから、ふと、先月、行きつけのお店で辞めていく女の子を派手に送り出してやったことを思い出したのか、疑問符を投げかけてきた。
「ああ、彼女、ピンクローズは辞めたけど、引き抜かれて新宿でちいままだ。これが終わったら、会いに行く約束をしてある」
勝ち誇ったように言ってやれば、案の定噛み付いてきた。
「ちょっと待て!何でお前がそんなこと知ってんだよ!ッて言うか、何で俺に教えないんだよ!」
寝起きから一気にテンションを上げて突っかかって来るのを眺めて、石割は銜えていたタバコを指に取った。それから、向き直って身を乗り出してきていたサバキの口に、タバコの吸い口を突っ込んでやった。
一呼吸。
煙を吐いたサバキの口からタバコを離して、自分も吸いつける。
「今月の給料が上がってたら、マキちゃんの店教えてやるよ」
にやりと笑って言えば、サバキも無精髭に囲まれた口の端を上げて見せた。
給料が上がるということは即ち、スムーズに勝ち続けるということ。治療入院での欠席も無く、出動依頼は全部こなし、備品破損での天引きも無いということだ。
要約すれば、簡単に勝って来い、という意味だ。
「へえー。教えてくれちゃうんだ」
「ああ、教えてやるよ。給料が上がってたらな」
「おう。教えてもらっちゃおうじゃないの!」
サバキはそう言うと、軽く屈伸して、閻魔を担いで踵を返した。
あまりにもいつものことなので、羽の先で地面に悪戯書きをして待っていたアカネタカが、やれやれと翼を打ち振って砂を落とし、中空へ舞い上がった。
「行って来い! ああ、それと、ひとつだけ言っておく」
「?」
「ぜってー、この川原までは、お客さん(魔化魍)連れてくるなよ」
「・・・何で? まあ、向こうで片つけるけどな」
「そうしとけ。怪我せずに帰ってきたら、褒美をやるから」
「ああ? 褒美? なんだそりゃ」
眉根を寄せるサバキに、石割はまた、にやりと笑って見せた。
「お楽しみってことさ。 ほうら、行きやがれ!」
避け損ねたサバキのケツをまた蹴飛ばして、ベテラン敏腕サポーターは、ベースキャンプから鬼を追い出した。
午後の日差しが柔らかく、茜色の音式神に先導されて、木立の間に消えていくサバキの後姿を照らしている。その背中に、石割は景気よく、火打石で切り火を切ってやった。
広い川原の反対側には、水温の低い渓流。
ネットに入れて沈めた缶ビールはきっと、よく冷えているだろう。
「まあ、マキちゃんには、佐伯さんにもお店に来るように伝えといてねーって言われてるしな」
サポーター足るもの、鬼を働かせる餌くらい用意していないと。そう口の中で呟いて、石割は笑って、残りのディスクの回収に戻って行った。