1月8日、22日配布の裁鬼さんバースデーペーパーより再録です。



「あ、雪です」
「ん? ああ。冷えてきてたからな」
「降り出してきちゃいましたね。これじゃ、午後の外のトレーニングは無理ですね」
「無理って事は無いと思うが・・・」
「降ってるんですよ。無理です」
「ああ? いつもなら、雨が降ってたって、雨合羽突きつけてランニングに追い出すくせに、なに珍しいこと言ってんだよ」
「え?! こ、小雨の時だけじゃないですか! 強く降っているときは言いませんよ! それに、今日は走り込みは済んでますから、良いんです!」
「さっき、追加で午後の走り込み入れてたのお前だろうが。それと、俺は台風の日に蹴り出されたことを、今でもよーく覚えているぞ」
「え、ええ?! し、してませんよそんなこと!」
「された。 間違いなく。 突風に飛ばされてくる色んなものを避けながら、吹き付けてくる暴風雨を浴びながら、これも鬼の修行の一環と、耐えて走った。・・・過酷だったぞ」
「え、え、あ、ありましたか?!そんなこと!!」
「あった。 何で俺がお前に、嘘言わなきゃならないんだよ」
「え、ええと、いつものごとく、トレーニングから逃れる為?」
「こら。 いつ俺がトレーニングから逃げた。きつすぎる時は誤魔化して切り上げることはあっても、サボりはしないぞ」
「・・・やっぱり、見張っていないときには、端折ってたりしてたんですね」
「お前が嫌味のようにきついメニュー組むからだろうが! あんなのをきちんとこなしてたら、突発で出動かかったときに、余力が残ってないだろう!」
「限界まで身体を使わなくて、鍛えることなんて出来ませんよ!まったく。それに、突然出動がかかっても、移動時間で充分回復できます。木更津の潮干狩り場なんて近場には、バケガニは出ませんから」
「うっ、言うなぁ、お前」
「はい、あなたにならきちんと言います」
「いや、それ、きちんとじゃなくて、ずばっとだろう」
「・・・そんな表現はどうでもいいです」
「まあ、お前にはどうでもいいかもな・・・。でも言われる俺には問題なんだよな・・・」
「何か言いましたか?」
「いいや。独り言」
「それならば良いですが、とにかく、外は雪なので、屋外でのトレーニングは中止です」
「・・・お前がそんなこと言うと、今すぐ夏がきそうだ」
「何か言いましたか?」
「いいえ。独り言です」
「それならば良いです」
「で、ジムの空きでも訊くか?」
「そうですね。ジムのマシーントレーニングに、メニューの組み立てを変更しますから、あなたは夕食の材料の割り出しでもしていてください」
「あ、そう。 んじゃ、そうする」
「暖かいものがいいと思いますよ。あなたのお好きなものを」
「そうだなぁ。何がいいかなぁ」
「ジムの帰りに、買い出しに寄りますから」
「おう。で、お前も食ってくこと!」
「・・・了解しました」

 居間の窓辺で、並んでガラスの向こうを眺めていたサバキと石割は、そう言ってそれぞれ少し難しい顔をして、その場を離れた。
 長身の影と小柄な影が離れて、窓の向こうで、舞い出した白い破片が風に舞った。


 地元の行きつけのトレーニングジムで、石割がサバキのためを思って組み立てた、鬼専用の鬼のようなトレーニングメニューを、サバキはときどき手を抜きながらこなし、石割はそれを見つけては、隣でサポーターらしく自分に合わせて行っているトレーニングをわざわざ中断して歩み寄り、後ろから長身の頭を「サボるな」との掛け声と共に叩いて戻っていく。天候の悪いときの、いつもの光景は、冷え込む屋外とはかけ離れた、いつもの営みだった。
「そんなトレーニングのこなし方をしているから、どんどんメニューが上乗せになるんです。その内、本当に地獄のようなトレーニングになりますよ」と、休憩中のサバキをジムの床に座らせ、自分もその前に正座して座り、石割はいつもの説教をする。それに対して訊く方の鬼は、相変わらず胡座をかいて頭を掻きながら、「うーん」等と、気のない返事を返している。猛士のメンバーが運営するこのジムだからこそできる、すっかり馴染みとなったそんな光景に、ジムのオーナーが笑いながら通りかかるのに、サバキが軽く手を上げて話し掛けようとするものだから、「きちんと反省していらっしゃるのですか!」と、石割の喝が跳ぶ。
 外は雪。
 振り出したばかりの細かい雪片ではなく、いつの間にか積もるような雪になっていて、大きな雪片が、視界を遮るほど降りしきっている。
 それでも予定時間内にトレーニングを終わらせ、ジムのシャワーを使って汗を流して着替える。「まだ濡れていますよ」と石割がサバキを捕まえてロッカールームの椅子に座らせ、後ろから髪にドライヤーを掛ける。「おお、悪い」等と小声で言いながら、少し癖のある髪を乾かしてもらい、「お返し」とサバキも石割を捕まえて「僕は大丈夫です」と逃げる小柄な身体を無理矢理座らせて、楽しげにドライヤーをかける。こんな天気で、ジムの利用者は少ないとは言え、ロッカールームで何となくそんな風にバタバタとしてから出てきた二人に、猛士のメンバーであるオーナーは、気を付けてと笑って送り出してくれた。
 南関東に降る、重くて大きな雪が、植え込みの緑の上に積もり、視界を遮るほど降っていた。
 車のタイヤは、冬になる前にスタッドレスに履き替えてある。
 関東支部の受け持ち範囲でも、冬場の現場に雪は少なくない。悪路雪道仕様の車でも、下手をすれば途中で捨てて、歩いて現場に向かうこともあるのだ。冬用タイヤへの履き替えはいつもだったが、それをオフの日に街中で利用する日は決して多くない。
「買い出しに何処まで行くんだ?」と言うサバキの疑問符つきの声を無視して、ハンドルを握った石割は、ジムの駐車場から出した車を、都内へと乗り入れた。「何でこんなお高いスーパーに来るんだよ!」と言う叫びも無視して、高級食材を扱うことで有名な、セレブ御用達のスーパーの駐車場に車を入れる。輸入高級車の並ぶ中に、現場仕様の車は場違いな感じがしたが、「エレメントだってホンダですが輸入車です」と石割が言い切ったので、少し腰の引けていたサバキは何となく納得して、車から降りた。

「お前、こんな店で何買うつもりだよー」
 サバキは近所のジムまでと思って出てきていた自分の服装を、一度だけ立ち止まって見下ろしてから、仕方ないかと振り切って、先を行く石割の背中に声を掛ける。
 その石割は気にした風もなく、振り返ってサバキにカゴを押し付けた。
「何を買うかは、あなたが決めてください。今日の料理は考えてあるのでしょう。オフの時には、絶対僕には料理をさせてくれないんですから、あなたが欲しい食材を、あなたが決めてください。値段は気にせずに。お財布は僕ですので」
 言われて、サバキは瞬く。
 やっぱり、今すぐにでも夏が来そうだと思って、自分の元弟子だった、元鬼だった、小柄な敏腕サポーターをまじまじと見てしまった。確かにサバキの趣味は料理だし、鬼を引退した後は、食堂でも開けたらいいなぁとも思っている。だが、普段ならば、贅沢は敵だと、互いにその辺だけは意見があっていると言うのに・・・
「何を呆けた顔をしているんですか。はい、歩く」
 そうは言われても、とスーパーのカゴを片手に突っ立って躊躇っていると、腕を引かれた。
「ご希望でしたら、この後は築地だって廻ります」
「はあ?」
「・・・あなたに、今日は好きなだけ好きな食材を使ってもらって、好きな料理をしてもらいます。毎年、何を聞いても何もいらないと言うし、何もしてくれなくていいというので、今年はあなたにしてもらうことにしました。築地に行きたければそちらのお財布も僕ですので、ご心配なく」
 言いながら小柄な男は、ずんずんと前へ進んでいく。
 言われた意味がやっぱり訳が判らずに、引かれるままに歩いて行きながら考えて、ふと、サバキは気付く。
「石割―」
「はい」
「なあ、もしかしてこれ、誕生日プレゼントだったりするわけか?」
「・・・そうです」
「そうかー」
「・・・嫌ですか」
「いいや。嬉しいよー」
 言って立ち止まり、サバキは本当に嬉しそうに笑った。
「ありがとうな。いつも。これからも」
 不意に口をついて言えば、一緒に立ち止まった石割が、瞬いて見上げてきて、慌てて掴んでいた腕を離した。
「・・・どういたしまして」
 小声で返されて、可笑しい。直ぐに背を向けて歩き出されて、可笑しい。
「なあ、石割。このチーズ上手そう。パスタに入れようぜ。お前好きだろう」
 離れて行こうとするその腕を今度は掴んで、引き寄せる。
「ご自分の好きなものを作ってください。あなたは和食の方が好きでしょう! それに、僕は少ししか食べられませんから、考えなくて良いです!」
 怒ったように言われて、また可笑しくなって、サバキは笑う。確かに石割は、鬼ではなくなったその原因で、食事の量は酷く少ない。
「でもな、俺はお前が美味そうに食ってるのを見るのって、好きだからさ」
 言えば、また瞬いて見上げられた。
「だからさ、このチーズ入れたパスタ、食べたくないか?」
「・・・食べたいです。 ああ、もう、勝手にしてください!」
 少し顔を赤くして、再び怒ったように言って、石割はサバキの腕を振り解いて歩いて行ってしまう。
「僕は向こうで待ってますから、決まったら呼んでください!」
 数歩離れて振り返って、いつも携帯を入れている上着の胸を押さえて、精一杯不機嫌そうな表情を作る石割に、サバキは片手にカゴを下げたまま、笑ってもう一方の手を上げた。
「築地の分も考えておいてくださいよ。雪だって行きますからね」
 言われて、うっかりしていたと思い出して笑みのまま手を振った。まぐろの刺身、お前好きだもんなと、胸の中で思いながら。石割の好きそうなものを考えながら。ここには美味そうな酒もあるかなと考えながら。慣れない高級食材のスーパーの中を見回して、逃げるようにしていなくなった石割の背中を見送り、笑んで、サバキは取りあえず、手近な冷蔵棚の中を覗き込んだ。



 終





わたし、おやじ鬼さんの趣味は絶対、料理だと思うんですけど・・・。いや、根拠なんて何にもないですけどね。(笑)